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ミャンマーの概要と子どもデータ

 ミャンマー王国 概要  ミャンマーの歴史と社会情勢 〜子供に関わる問題は〜  写真で見るミャンマー
 ミャンマーの子供データ   ミャンマー:子供に関する問題を考える

ミャンマー連邦共和国 概要                         (出典:外務省)

ミャンマー地図
国旗
首都 ネーピードー
面積 約68万km2(日本の約1.8倍)
人口 5,141万人(2014年9月(ミャンマー入国管理・人口省暫定発表)
民族 ビルマ族(約70%)、その他多くの少数民族
言語 ミャンマー語
宗教 90%が仏教
     

ミャンマーの歴史と社会情勢 〜子供に関わる問題は〜

社会主義政権から軍事政権へ

ミャンマーの歴史は11世紀半ばに成立したビルマ族による最初の統一王朝・バガン王朝に遡ることができます。 19世紀には英国領となりますが、アウン・サン将軍の活躍もあり,戦後1948年にビルマ連邦として英国からの独立を果たしました。 1960年頃までのミャンマーは、米、宝石、木材などの産地として東南アジア有数の豊かな国として知られていましたが、 1962年、軍事クーデターによりネ・ウイン将軍(のち大統領)による社会主義政権が成立すると、 主要産業の国有化など社会主義的な経済政策が進められるようになりました。

社会主義政権下での閉鎖的な経済政策により、ミャンマー経済は長らく停滞を続け、 1987年12月には国連から後発開発途上国の認定を受けるまでになります。 翌1988年、ネ・ウイン政権退陣を求める全国的な民主化デモにより社会主義政権が崩壊し、 デモを鎮圧した国軍がクーデターにより政権を掌握しました。社会主義政策から経済開放政策に転じた軍事政権ですが、 民主化運動の弾圧やその指導者 アウン・サン・スー・チー氏の拘束・自宅軟禁などに対して国際社会から大きな非難を浴びることになります。 米国やEUはミャンマーに対して経済制裁措置及び金融制裁措置を実施し、これはミャンマーの国内産業の発展に大きな ダメージとなりました。 そうした中、1997年7月にはASEANへの加盟が認められました。

2010年11月,新憲法にもとづく総選挙が実施され、同月にはアウン・サン・スー・チー氏の自宅軟禁も解除されました。 2011年テイン・セイン大統領が就任し、ようやくミャンマーは民政移管を果たします。 それまで軍事政権を担っていた国家平和開発評議会(SPDC)が解散し、新政府主導による民主化、国民和解 (少数民族との和平交渉,停戦合意の推進)そして経済改革に向けた前向きな取組が次々に打ち出されました。 そうした流れの中で民主化運動によって、政治犯として収容されていた人々が釈放され、国内で政治活動ができないため海外へ 移住していた民主化活動家に対しては、大統領自身がミャンマーの新しい国づくりへの参画を求め、 これに応じて多くの有能な人材が帰国しつつあります。2011年8月にはスー・チー氏と大統領との対話も実現しており、 国家の発展のためにお互いが協力することで合意しました。軍政と対立していたスー・チー氏ですが、 テイン・セイン大統領に対しては「信頼できる人物」と高く評価しています。 2012年4月の議会補欠選挙では,スー・チー氏率いる野党・国民民主連盟(NLD)が大勝し、 スー・チー氏自身も国会議員となりました。今後のミャンマーの更なる民主化に向けて、 テイン・セイン大統領とスー・チー氏との連携が注目されます。

しかし民主化が進み経済の発展も見える中、まだまだ途上国としての社会問題、子供に関する問題を多く抱えております。
ミャンマーの5歳未満児死亡率は62(1,000人中)と、東南アジ ア地域では最も高くなっています。 栄養不良も深刻で、5歳未満児の 23%の子どもが中度もしくは重度の低体重、35%が中度・重度の発育阻害の状態にあります。 出生登録は都市部では94%行われている一 方で、農村部では64%の実施に留まり、地域間の格差が浮き彫りになっています。 ミャンマーの5歳未満児の死亡率は、日本の20倍以上に達してます。 また教材不足、教員不足の問題、教育の質を向上される必要もあります。 そして虐待や暴力から子供を守ること、子供の育て方として、母親が栄養衛生をもっと学ぶ仏必要もあるのです。


ミャンマーの子供データ                     (出典:Unisef)

基本統計

総人口 47963 (1000人) 2010
5歳未満人口 3956 (1000人) 2010
18歳未満人口 14937 (1000人) 2010
年間出生数 830 (1000人) 2010
人口の年間増加率 1 (%) 1990-2010
出生時の平均寿命 65 (年) 2010
ひとりあたりのGNI a 低所得国(GNI1人あたり1,005米ドル以下) (米ドル) 2010

子どもの死亡率

乳児(1歳未満児)死亡率 50 (出生1000人当たり) 2010
5歳未満児死亡率 66 (出生1000人当たり) 2010
5歳未満児の年間死亡数 56 (1000人) 2010

妊娠と出産

合計特殊出生率 2 (人) 2006
避妊法の普及率 41 (%) 2006-2010*
妊産婦死亡率 240 (出生10万人当たり) 2008
専門技術者が付き添う出産の比率 64 (%) 2006-2010*

予防接種

結核(BCG)の予防接種を受けた1歳児の比率 93 (%) 2010
3種混合予防接種を受けた1歳児の比率 93 (%) 2010
ポリオの予防接種を受けた1歳児の比率 90 (%) 2010
はしかの予防接種を受けた1歳児の比率 88 (%) 2010
破傷風から保護される新生児 93 (%) 2010
政府資金による定期EPI用ワクチンの購入率 - (%) 2010

水と衛生

改善された水源を利用する人の比率

全国 71 (%) 2008
都市 75 (%) 2008
農村 69 (%) 2008

適切な衛生施設を利用する人の比率

全国 81 (%) 2008
都市 86 (%) 2008
農村 79 (%) 2008

栄養

低出生体重児出生率 9 (%) 2006-2010*
5歳未満の中・重度の低体重児の比率 23 (%) 2006-2010*
ビタミンAの補給率(6〜59ケ月児) 94 (%) 2010
ヨード添加塩を使う世帯 93 (%) 2006-2010*

教育

成人の総識字率 92 (%) 2005-2010*
若者(15-24歳)の識字率 男性 96、女性 95 (%) 2005-2010*
女性成人の識字率の対男性比 94 (%) 2005-2010*
初等教育純就学率 男子 -、女子 - (%) 2007-2010*
小学校に入学した子どもが最終学年まで残る率 70 (%) 2006-2009*
中等教育純就学率 男子 49、女子 50 (%) 2007-2010*

ミャンマー:子供に関する問題を考える           (出典:Unisef)

■ミャンマーの教育事情


ミャンマーの首都、ヤンゴン。金色に光るパゴダ(仏塔)がまぶしい人口約250万人の都市である。 そのヤンゴンの中心部から川の対岸に位置するチミダン地区。ここはかつてヤンゴン中心部のスラム街にいた 人々が移り住んできた地域で、日雇い労働者が人口の90%以上を占めている。

チミダン地区にあるバロアットニュン小学校では、教育省の基準に基づきコンクリート製で複数の教室を 持つヤンゴン中心部の小学校とは違い、木造で1つの教室の中で多学年の児童が勉強している。 4年前に建てられたばかりの校舎は既に壁のあちらこちらに虫食いが見られるため、校舎の補修が必要である。 制服を買うお金がないため、制服を着ていない子どもが多いが、学校に来ることのできる子はまだ恵まれている。

学校建設にかかる費用や教師の給料は基本的に政府が負担するが、年に3ドルほどの教科書やノート、 制服は親の負担である。これらの費用が負担できない親は、子どもを学校に通わせることが難しい。 いったん入学しても半数以上の子どもが卒業するまでに学校をやめてしまう。

子どもが学校にいけない理由は学校の施設や先生がいるかなどの面だけではなく、貧困など学校外の要因もある。 ユニセフは国内でも状況の悪い地域を選び出し、そこに対して総合的な問題の解決に取り組んでいる。 学校施設の向上、教材や教科書、鉛筆の提供、教師の研修だけでなく、病気の予防、水やトイレの問題、 PTAの研修やコミュニティーの育成など、地域を総合的に開発することでより根本的な原因から解決を図っている。

小学校に通わずある程度の年齢になった子どもは、小学校に通うのも年齢的なギャップから難しく、 中学に入ることもできない。そのため、ユニセフでは10〜15歳で教育を受けていない子供を対象とした 学校外教育を試験的にいくつかの地域で始める予定である。

子どもが自分達の能力を開花させ、国の将来の担い手となれるよう、一日もはやくすべての子どもが 教育を受けられるようにする、それがミャンマーの人々の願いでもある。

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