ベトナム概要と子どもデータ

ベトナム社会主義共和国概要

(出典:外務省)

ベトナムの地図
国旗 ベトナムの国旗
首都 ハノイ
面積 32万9,241km2
人口 約9,170万人(2013年 国連推計)
民族 キン族(越人)約86%、他に53の少数民族
言語 ベトナム語
宗教 仏教、カトリック、カオダイ教他

ベトナムの歴史と社会情勢 ~子供に関わる問題は~

ベトナム戦争で撒かれた枯れ葉剤が深刻な影響

ベトナムは中国に隣接していることから、千年に渡って中国の支配下だった歴史があります。

そして1884年からは、フランスの保護国として植民地化、第二次世界大戦では日本にも占領され、フランスとの二重支配となります。

1945年に日本軍が降伏すると、ホーチミン主席がベトナム民主主義共和国の独立宣言をします。

ところがフランスは、ベトナムを元の植民地へ戻そうとし、この対立が第一次インドシナ戦争となりました。

そして1949年フランスがベトナム国を樹立すると、それに反対する中国とソ連はべトナム人民共和国を承認、 同じベトナムの中に資本主義国家と社会主義国家という別々の国家が存在する複雑な情勢となりました。

この二つの国家は、アメリカの資本主義とソ連の共産主義が対立する代理戦争、ベトナム戦争の勃発となります。

1960年から始まったとされるベトナム戦争は、1975年のサイゴン陥落で終戦となる長い戦争となりました。

その後の1978年には、ポルポトが政権を握るカンボジアへ侵略、結果カンボジアの後継である中国との中越戦争に発展してしまいます。

更にカンボジアへの侵攻は国際社会からも独立することになり、1991年のカンボジア和平成立まで困難な時代が続くこととなりました。

現在では1995年にアメリカと国交正常化を図り、ASEANへの加盟も果たすこととなりました。


侵略と長い戦争で多くを失ったベトナムですが、現在は安定し発展をとげております。しかし戦争が残した悲しい痕跡は、今でも切実に続いております。

ベトナム戦争でアメリカ軍が使用した爆弾の量は、第二次世界大戦を超える史上最大の量となりました。

そしてアメリカ軍が撒いた枯れ葉剤は本来は、南ベトナム解放民族戦線が隠れている森林の破壊が目的でしたが、この枯れ葉剤がいまだに多くのベトナム国民を苦しめることとなります。

この枯れ葉剤には、非常に毒性の強い成分が含まれており、 戦争には全く関わっていない二世三世、今生まれる子供たちが奇形や遺伝疾患、がんなどに苦しめられており、その数は100万人以上とも数えらております。

体がくっついて生まれたベトちゃん、ドクちゃんは、日本でも多くのメディアに取り上げられておりました。

ベトナムの孤児院を訪問し、他国の孤児院と比べて圧倒されることは、障害を持った子供の数です。知的障害や言語障害、ずっと車椅子に座っている子、その中の多くは顔を上げることもできません。

またベッドに寝ていることしかできない状態の子供を多く見ることとなりました。

更に孤児院には子供だけでなく、中高年世代の方が同様の障害を持って一緒に暮らしている姿がありました。

何年も何年も苦しんでいる方々です。

生命への不安も大きく、訪問した孤児院の中には、「先月も一人亡くなりました。先週も一人亡くなり、まだ火葬も済んでいません」と、日々悲しい現実に直面しておりました。

ベトナムにおける子供に関する問題、孤児院が抱える問題は、ベトナム戦争と枯れ葉剤の被害からは切り離して考えることはできないのです。

写真で見るベトナム

ベトナム仏教国

ベトナムも仏教国、千年以上支配されていた中国の影響を強く残しています。

ベトナムの寺院

非常に大きな寺院が多く見られます。
漢字と英語が混ざっているのが特徴です。

ベトナムの寺院が運営している孤児院

寺院が運営している孤児院にもいくつか訪問して参りました。

ベトナムのお墓

町はずれには、こうしたお墓がたくさんあります。

フランスの支配

中国のあとはフランスの支配が続きました。
欧州風の建物も多く見ることができます。

ホーチミン

ベトナム最大の都市ホーチミンは、急速に発展を遂げています。

ベトナム支援

国民の平均年齢は30才、これからの益々の成長に期待ができる活気ある国です。

ベトナムの貧困問題

貧富の差は激しく、近代的な建物と同じ地域にスラム街が存在します。

ベトナムの市民の生活

まだ電車のないベトナムでの市民の足はバイク。
若者からお年寄りまで皆がバイクに乗って生活しています。

ベトナムの人口

人口は9千万人を超える大国。

これは世界でも13位の人口数。日本は1億2千万人で世界10位です。

ベトナムの子供データ

(出典:Unisef)

基本統計

総人口 87848 (1000人) 2010
5歳未満人口 7186 (1000人) 2010
18歳未満人口 25981 (1000人) 2010
年間出生数 1467 (1000人) 2010
人口の年間増加率 1.3 (%) 1990-2010
出生時の平均寿命 75 (年) 2010
ひとりあたりのGNI 1100 (米ドル) 2010

子どもの死亡率

乳児(1歳未満児)死亡率 19 (出生1000人当たり) 2010
5歳未満児死亡率 23 (出生1000人当たり) 2010
5歳未満児の年間死亡数 34 (1000人) 2010

妊娠と出産

合計特殊出生率 1.8 (人) 2006
避妊法の普及率 80 (%) 2006-2010*
妊産婦死亡率 56 (出生10万人当たり) 2008
専門技術者が付き添う出産の比率 88 (%) 2006-2010*

予防接種

結核(BCG)の予防接種を受けた1歳児の比率 94 (%) 2010
3種混合予防接種を受けた1歳児の比率 93 (%) 2010
ポリオの予防接種を受けた1歳児の比率 94 (%) 2010
はしかの予防接種を受けた1歳児の比率 98 (%) 2010
破傷風から保護される新生児 87 (%) 2010
政府資金による定期EPI用ワクチンの購入率 28 (%) 2010

水と衛生

改善された水源を利用する人の比率

全国 94 (%) 2008
都市 99 (%) 2008
農村 92 (%) 2008

適切な衛生施設を利用する人の比率

全国 75 (%) 2008
都市 94 (%) 2008
農村 67 (%) 2008

栄養

低出生体重児出生率 5 (%) 2006-2010*
5歳未満の中・重度の低体重児の比率 20 (%) 2006-2010*
ビタミンAの補給率(6~59ケ月児) 95 (%) 2010
ヨード添加塩を使う世帯 93 (%) 2006-2010*

教育

成人の総識字率 93 (%) 2005-2010*
若者(15-24歳)の識字率 男性 97、女性 96 男性 98、女性 98 2005-2010*
女性成人の識字率の対男性比 95 (%) 2005-2010*
初等教育純就学率 男子 -、女子 - (%) 2007-2010*
小学校に入学した子どもが最終学年まで残る率 - (%) 2006-2009*
中等教育純就学率 男子 -、女子 - (%) 2007-2010*

ベトナム:子供に関する問題を考える

(出典:Unisef)

変わり始めた、”枯れ葉剤”の影響を受けた子どもたちの人生

【2013年5月30日 ベトナム発】

枯れ葉剤の影響を受けた人々の支援を続ける地元NGOが運営する施設でケアされている子どもたちにとって、施設に通う1日2時間の道のりが、新しい人生をもたらしてくれました。今日、彼らは、今までやったことがない体験をしたのです。


1年前、障がいのあるこの子どもたちの多くは、社会から忘れられ、あるいは無視され、家族に負担をかける存在として見なされていました。

しかし、かつて子どもたちが“できないこと”に向けられていた目は、今では、徐々に“出来ること”に向けられ始めています。

ダナンは、ベトナム戦争で、ジャングルに枯れ葉剤という名の大量のダイオキシン化合物が撒かれた場所です。現在、ダナンでは、このダイオキシンに関連する原因を理由として障がいのある子どもが1,400人居ると推定されています。

ユニセフが支援しているデイ・ケアセンターで支援を受けている約200人のうちの約60%は、枯れ葉剤による影響を受けていると考えられています。


センターの子どもたちの中には、自分で服を着たり、食べたり、体を洗ったりする方法を学んでいる子もいます。

このセンターで初めてこうした機会を得た子も少なくありません。

子どもたちは、字を書いたり絵を描いたりする方法を学び、新しい道具を創作したり、新しい技術を発見したり、新しい友達を作ったりしています。ソーシャル・ワーカーたちは、子どもたちの変化を目の当たりにし始めています。


献身的な働き

「子どもたちと一緒に働き始めた頃は、頭を叩いてくる子たちと一緒に眠っていました。しょっ中泣いていました。とても怖かったですし、ここで働くのを辞めるべきかとまで考えていました。もう続けられないと思って・・・」このセンターで教員として働くソーシャル・ワーカーのングヤン・チィ・カムさんはこのように話します。


「でも、その時に思ったのです。それは違う。私はソーシャル・ワーカーとして、子どもたちのために最善を尽くさなければならないって」「今、子どもたちは自信に満ち溢れているように見えます。文字や線、絵を描いたり、歌を歌ったり、踊ったりすることができます。お香や花、Tシャツといったものを作ることもできるんです」ングヤン・チィ・カムさんはこう続けました。


デイ・ケアセンターに通っている多くの子どもたちには重度の障がいがあり、一般の学校に通うことが出来ません。

このセンターでは、生活する上で必要な基礎的なサポートを提供するだけではなく、教育や職業訓練、リハビリテーションも支援しています。


ベトナム政府によると、障がいのある子どもの数は、推定約130万人。と同様、障がいのある子どもたちは、スティグマ(汚名・烙印)や差別にさらされることが多く、保健や教育、その他の公共サービスを受ける機会が限られていることも少なくありません。


負の遺産

こうした、子どもたちは、自身が生まれる遥か以前に起きた戦争の犠牲者です。

子どもたちの祖父母が、枯れ葉剤の被害に遭いました。ニーさんの祖母には、先天的な障がいのある孫が3人います。

1970年代、ニーさんの祖母のボー・ティ・トイさん一家は、畑を壊滅させた大量のダイオキシン散布により、自宅からの避難を余儀なくされました。

ダイオキシンによる実際の影響を調べた科学的な研究はほとんどありません。症例に基づいたものが唯一のデータです。


ボー・ティ・トイさんにとって、このセンターは、彼女自身と孫を助けてくれる場所。ニーさんは、今では自分で服を着たり、歌ったり、積極的に活動するようになりました。


「センターに通い始めてから、孫は目覚しい進歩を遂げました。でも、孫が負った心の傷はまだ癒えていません。センターに通うことで、孫は家族との接し方を学ぶよい機会を与えられていると思います」


ダイオキシンの汚染除去のために、多くの人道支援団体とドナーがベトナム政府を支援していますが、戦争の犠牲となった方々や障がいのある子どもへの支援には、全体の3分の1程度の資金しか割けられていません。


社会の一員

生まれた時からダウン症のあるスアンさんは、1日中このセンターで過ごしています。このため、スアンさんの家族も、それぞれの生活をすることが出来ているのです。


「スアンがハイハイし始めた時、孫を育てるためにも仕事をしなければなりませんでした。ですから、その間ベッドに縛り付けておかなければならなかったのです。

そうしないと、どこに行くのかわかりませんでしたから」「今は、『疲れたから、お皿を片付けてお茶を入れてくれるかい?』って孫に聞くことができるんですよ。私が行った通りちゃんとやってくれます」スアンさんの祖母のレ・ティ・ルーさんはこう話しました。


世界では、数百万人の障がいのある子どもたちが、最も差別を受けています。こうした子どもたちは、社会から取り残されています。

今年の「世界子供白書」は障がいのある子どもたちをテーマとしています。障がいのある子どもも社会の一員であり、社会から離れて存在しているわけではありません。


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